邦楽クリスマスソングの定番・懐メロ10曲



邦楽クリスマスソングの定番曲・懐メロ10選

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石原裕次郎『裕ちゃんのクリスマス特集』

毎年12月を迎えると街中にあふれだす”クリスマスソング”。1984年生まれの僕が成長する中で一番初めに意識したクリスマスソングは、童謡なら『あわてんぼうのサンタクロース』(1971年)、『赤鼻のトナカイ』(1949年。日本でよく知られる邦訳版は1960年初出)、ポップスなら『クリスマス・イブ』(山下達郎 1983年)と『恋人がサンタクロース』(松任谷由実 1980年)あたりだった。

いずれも現在でも定番の楽曲だが、クリスマスソングとはいつ頃から日本に普及したのだろうか。

クリスマスの風俗が本格的に日本に紹介されたのは明治時代後半の1900年頃。以後、急速に広まってゆき、1920年代ともなると街にイルミネーションが飾られたりプレゼント交換したりケーキを食べるということは、少なくとも都市部では一般的だったらしい。

音楽面では、1927年に『Silent Night』が牧師の由木康によって『きよしこの夜』として邦訳されている。この時期の『きよしこの夜』はまだ一部のクリスチャンにのみ知られる”讃美歌”としての側面が強かったようだが、その後クリスマス文化の普及にしたがい童謡として国産クリスマスソング『クリスマス』(平山美代子、中山梶子 1937年)、『サンタクロース』(平山美代子、中山梶子、尾村まさ子、金森りつ子 1937年) などが誕生している。

その後、第二次世界大戦の勃発によりクリスマスソングの発展は一時中断してしまうが、戦後ふたたびその灯はともる。

ここからは曲ごとに戦後日本のクリスマスソングの歴史を紹介しよう。クリスマスソングが日本に定着して発展する過程で重要な役割を果たした10曲を厳選した。いずれも現在にいたるまで愛され続けている名曲ぞろいだ。

『クリスマス・イブ』(山下達郎 1983年)

クリスマス・イブ

まずは外しがたいこの曲。

日本人が作ったクリスマスソングでは一番知られ、かつ人気のある曲がこの『クリスマス・イブ』。※『あなたが1番好きな「クリスマスソング」は? 総合ランキングTOP20』(CD&DLでーた)、『クリスマスソング名曲ランキング』(dミュージック)参照

詞、曲、サウンド、いずれをとっても完成度が高く、クリスマスソングとしてもポップソングとしても日本を代表する一曲だと断言できる。元々は1983年6月のアルバム『MELODIES』収録曲だったが年末に三万枚限定でシングルカット。その後も包装やデザインを変えながら毎年末にリリースされ続け、1988年にJR東海のCMソングに起用されたことで本格的ブレイクを果たした。

オリコン週間ランキングで30年以上連続で100位以内にランクインする超ロングセラーとなっており、2016年には「日本のシングルチャートに連続でチャートインした最多年数の曲」としてギネスに認定されている。

『サイレント・ナイト/ジングル・ベル』(江利チエミ 1952年)

ここからは年代順に紹介したい。のちに美空ひばり、雪村いづみと共に”三人娘”と呼ばれることになる江利チエミによるカバー。江利チエミは同年『テネシーワルツ』で華々しいデビューをとげたばかりで大ブレイク中だった。

『サイレント・ナイト』は先にも紹介した讃美歌『Silent Night』。『きよしこの夜』の邦訳歌詞も交えてムーディーに歌い上げている。『ジングル・ベル』はダンサブルなジャズ調で、当時としてはかなりモダンな仕上がりだ。

両曲ともすでにある程度は知られていたに違いないが、彼女のような若きスターが歌ったことは、クリスマスソングの定番として認識される大きな要因となったのではないだろうか。なお翌年には美空ひばり、雪村いづみも『ジングル・ベル』をカバーしている。

『赤鼻のトナカイ』(森山加代子 1960年)

A面が水原弘、B面が森山加代子のクリスマス企画アルバム『おミズと加代ちゃんのクリスマス・イヴ』に収録されている。訳詞の新田宣夫とは当時数多のカバーポップスの訳詞を手がけていた漣健児のサブ・ペンネーム。同年『月影のナポリ』でデビューし、モダンなポップス歌手として脚光を浴びていた森山加代子が歌った。

売上記録は不詳だが、当時若き大スターだった水原と森山のコンビによるアルバムなのでそれなりの広まりはあったに違いない。翌年以降、坂本九が『九ちゃんのジングル・ベル』のB面としてリリースするなどさまざまな歌手にカバーされるようになった。

なお日本語ではないが1970年のジャクソン5によるカバーバージョンも同曲の日本での普及に大きな貢献をしている。

『サンタが町にやってくる』(山本リンダ 1967年)

原曲はアメリカで1934年にヒットした『Santa Claus Is Coming to Town』。現在日本でよく知られている歌詞は、渡舟人名義で『ダイアナ』(山下敬二郎 1958年)を、タカオ・カンベ名義で『網走番外地』(高倉健 1965年)や『悲しき願い』(尾藤イサオ 1965年)を手がけた神戸孝夫によるもの。

前年に大ヒット曲『こまっちゃうナ』でデビューし、この年も『ミニミニデート』をヒットさせていた山本リンダがシングルとしてリリースした。舌足らずに声をひっくり返らせながら歌う”リンダ節”がいかんなく発揮されていて楽しい。

このバージョン自体が大ヒットしたわけではないが、世間に邦訳版を認知をさせ、クリスマスソング、童謡として他の歌手に引き継がれていくきっかけになった点で重要だ。

『あわてんぼうのサンタクロース』(1967年 『NHKこどものうた楽譜集 第2集』初出)

あわてんぼうのサンタクロース

1960年代には歌謡歌手がクリスマスソングをリリースすることはかなり一般的になっていた。

これまで挙げた以外にも山下敬二郎、加山雄三、ザ・ピーナッツ、ジャッキー吉川とブルーコメッツ、ザ・タイガース……そうそうたるスターがこぞってクリスマスソングをリリースしている。ところが楽曲は大多数が海外のカバー曲。オリジナルも無いではないが大きくヒットしたり現代にまで広く歌い継がれている曲は無い。

そんな中でこの『あわてんぼうのサンタクロース』は完全に日本の作家によって制作された初めての定番クリスマスソングとして重要だ。詞はこれまでに『おもちゃのチャチャチャ』(童謡 1962年)や『真っ赤な太陽』(美空ひばり 1967年)などを手がけ、人気作詞家の仲間入りをしていた吉岡治、曲は『ワンサカ娘』(かまやつひろし、弘田三枝子など 1961年~)などCMソングを多数手がけていた気鋭作曲家の小林亜星によるもの。

1967年に『NHKこどものうた楽譜集 第2集』で楽譜が発表されたが1970年代以降、テレビ番組『おかあさんといっしょ』(NHK)で歌のお兄さんを務めた田中星児らに歌われて普及していった。

『ハッピー・クリスマス(戦争は終った)』(ジョン・レノン & オノ・ヨーコ 1971年)

John & Yoko / The Plastic Ono Band / Happy Xmas (War Is Over)

当たり前のことかもしれないが、従来のクリスマスソングはいかにも”クリスマスソングですよ”と言った風情で、キャンペーンソングや讃美歌じみたものばかりだった。現代的な意味でアーティスティックなクリスマスソングの元祖と言えばこの『ハッピー・クリスマス(戦争は終った)』ではないだろうか。

この曲がリリースされた1971年は折しもベトナム戦争の真っ最中。ビートルズの解散後、急速に平和運動に傾倒していたジョンは(従来的ではない)意味のあるクリスマスソングを作りたいとこの曲を制作した。

「War is over! If you want it (戦争は終わる 望みさえすれば)」

前作が『イマジン』であったことを考えると自然な流れだが、曲の後半で連呼される直接的なメッセージは世間のクリスマスソングの概念を打ち破るに十分なものがあっただろう。イギリスを中心に全世界でヒットし、日本でもオリコン週間ランキングで30位を記録している。

『安奈』(甲斐バンド 1979年)

甲斐バンド 12CD-1141

 『ハッピー・クリスマス(戦争は終った)』のヒットは世界中のミュージシャンに「クリスマスは自由に音楽表現の題材にできる」という前例を示した。日本でもビートルズやジョンに影響を受けたミュージシャンがそれぞれに自分なりのクリスマスソングを発表しはじめた。

1976年、フォークブームの旗手だった小室等、吉田拓郎、井上陽水、泉谷しげるによるアルバム『クリスマス』リリースはその象徴的な出来事だが、より完成度が高く一般にも広く認知された曲と言えば甲斐バンドの『安奈』ではないだろうか。クリスマスを背景に離れ離れの男女の情愛を描いた内容だが、あくまで男女の情愛が”主”でクリスマスは”従”になっている。

クリスマスソングである前に”甲斐バンドの曲”というイメージが強いが、この曲の登場で初めて日本の音楽シーンはクリスマスを一題材として消化できたわけだ。オリコン週間ランキングで4位を記録する大ヒットとなり、現在も甲斐バンドを、70年代を代表する名曲として愛されている。

『恋人がサンタクロース』(松任谷由実 1980年)

恋人がサンタクロース

四季の恋愛模様を描いたアルバム『SURF&SNOW』の収録曲。『安奈』同様、クリスマスを題材にしながらもシンガーソングライターとしてしっかり自分らしさを表現している。

シングルカットはされなかったものの1982年に松田聖子のクリスマス企画アルバム『金色のリボン』でカバーされ、1987年には大ヒット映画『私をスキーに連れてって』挿入歌に起用される。

特に『私をスキーに連れてって』では主題歌をしのぐ注目を浴び、映画も大ヒットしたことから当時のバブル経済やスキーブームを象徴する曲として大いに世間に認知されることになった。普遍的な歌詞、メロディーで現在まで多くの人に愛される定番のクリスマスソングになっている。

『Merry Christmas Mr.Lawrence』(坂本龍一 1983年)

戦場のメリー・クリスマス

坂本龍一がデビッド・ボウイ、ビートたけし、ジョニー大倉らと出演した映画『戦場のメリー・クリスマス』の主題曲。インストゥルメンタルで、映画自体も必ずしもクリスマスをテーマにしたものではないので曲としてのクリスマス感は非常に薄い。しかし日英でヒットし、アメリカやオーストラリアなどでもそこそこ注目されたので結果的に日本を代表するクリスマスナンバーとして定着した。

坂本はこの曲を含む『戦場のメリー・クリスマス』の音楽制作が評価され1983年度英国アカデミー賞で作曲賞を受賞している。”クリスマスソング”を紹介する本記事であえて歌ではないこの曲を紹介したのは、それまでクリスマスソングを輸入するばかりだった日本が、この曲で初めて輸出する側に回ったという歴史的功績から。

もちろんそんなに仰々しいことを考えずとも音楽的に素晴らしく独特のムードを持った曲なので、今後も長く愛され続けるに違いない。

クリスマスソングが日本に完全定着したのは1983年

以上、”クリスマスソングが日本に定着して発展する過程で重要な役割を果たした10曲”として紹介させていただいた。今回紹介した曲は1983年までのもの。上に述べたさまざまな理由から僕は1983年を日本にクリスマスソングが定着し、一定の消化が成った年だと考えている。

もちろんそれ以降もさまざまなクリスマスソングの名曲がある。『ラスト・クリスマス』(ワム! 1984年)や『雪にかいたLOVE LETTER』(菊池桃子 1984年)も非常に人気があり重要な曲だと思う。

1980年代以降、「クリスマスソング=ラブソング」という認識になっていたところを覆した『チキンライス』(浜田雅功と槇原敬之 2004年)も近年では特筆すべきクリスマスソングと言えるだろうがテーマ上割愛せざるを得なかった。来年の年末頃になるだろうか……あらためて紹介の機会を作りたい。



チキンライス

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