米国の新しい麻薬危機(Opioid epidemic:オピオイドまん延問題)(西川伸一)




8月に入ってトランプ大統領やプライス保険衛生局長が、現在最も重要な米国の健康問題としてOpioid epidemic(麻薬まん延)を名指しし、非常事態として深刻に受け止めていることを表明した。

これについて昨日の日本経済新聞はニューヨーク支社の大塚さんたちの連名で、記事を掲載していた。この記事ではopioid epidemicが医師の処方から始まることを匂わせつつも、この問題を最近の白人至上主義運動と連結させて、「トランプ支持の中核といえる労働市場から排除された白人中間層の崩壊の背景の一つにopioid epidemicがあり、この問題を政権が深刻に受け止めている」と抽象的な話で終わろうとしているように私には読めた。

もしこの記事に関する私の理解が正しければ、この問題を医学雑誌を通して学んできた私には、白人至上主義と結びつけた日経のシナリオには違和感がある。これまでトランプも、メキシコからの麻薬の流入や、それを防ぐための国境の壁建設と絡めて、この問題についての意見を述べてきた。しかし、今回のトランプやプライスのステートメントには、この危機が医療によりもたらされている「医原病」であり(オバマケア保険問題すら絡めている)、1980年代に蔓延したクラックなどとは本質的に違う危機であるという明確な認識がある。事実、トランプは「薬物中毒や過剰摂取をやめる最も良い方法は最初の場所(医療現場)で薬物乱用が起こらないようにすることだ」とはっきり述べている。2015年、麻薬関連の死亡はじつに33000人を超えているが、この半数以上は医師の処方によるopioidが原因だ。

トランプに言われるまでもなく、米国医学界は米国を蝕むOpioid epidemicを医療の問題と理解しており、ここ数年多くの医学雑誌で特集が組まれ、また公的な調査レポートも発表されてきた。7月以降発表された論文だけでも30はくだらない。

米国医師会雑誌(JAMA)の先週号では2編の意見論文が掲載された。プライス長官が「毎年ヤンキースタジアムやドジャーススタジアムの観客数と同じ数の人たちが死んでいることを考えると、Opioid epidemicはまさに緊急事態と言える」と語ったように、最初のJAMA論文(Bonnie et al, JAMA 318:423, 2017)によると、opioidの過剰摂取による死亡が2011年の7019人だったのが、2015年には19884人に増加している。そして痛みの治療に対して、本当にopioidが長期効果を持つのか疑う意見もあることから、opioidの使用が完全に禁止される可能性すらあると懸念を表明している(トランプ、プライスではこの可能性がないとは言えない)。そしてこの問題にたいして、科学的エビデンスに基づいてより現実的な方策を模索すべきとした米国アカデミーからのレポート「Pai Management and the Opioid Epidemic(opioid epidemicへの対処)」を紹介している。

同じ JAMA には国家機関であるFDAからも、具体的な薬剤投与プロトコル提案も含めてこの危機を終わらす決意で取り組んでいる対策の概要について報告が行われている(Gottlieb and Woodcock JAMA ,318:421)。詳細は省くが、いずれの意見広告も、opioidが医療に役立っていることも評価した上で、科学的証拠に基づきこの問題に対処すべきことを強調するものだ。

この問題をあくまでも科学的に解決しようとする米国医学界を代表して、NIHのVolkowとCollinsが7月27日号のThe New England Journal of Medicineに論文を発表した(Volkow and Collins, The role of science in addressing opioid crisis(opioid危機に対する科学の役割), The New England Journal of Medicine, 377, 4, 2017)。NIHの長としていつも揺らぐことのない意見をタイムリーに発表し続けるコリンズに改めて感心したので最後に短く紹介する。

このオピニオン論文では、opioidの急性中毒に対する治療法の開発、依存症に対する薬剤の開発、opioidに代わる鎮痛剤の開発を3本柱に、緊急対策から長期対策まで明確な工程表に基づき進めることが、この問題の解決に必要であることが述べられている。

現在のopioid過剰摂取による死亡の主な原因は、ヘロインの50-5000倍も薬効の高いμオピオイド受容体刺激剤であるフェンタニルやカルフェタニルで、救急で投与される拮抗剤のナロキサンの効果が追いつかない結果であることをまず指摘している。そしてこれに対して、現有の拮抗剤を組み合わせたより有効な使用法の開発、新しいopioid拮抗剤の開発が急務であることを指摘した上で、全く新しい神経経路を介する過剰摂取患者の治療法の開発、自宅で過剰摂取を検知して自動で拮抗剤を投与する機器の開発などが中長期的方法として現在開発されていることを紹介している。

依存症に対しては現在メタドーン、ブプレノフィン、ナルトレゾンが利用できるが、効果が短いためどうしても施設での教育が必要で、当然施設の数が足りない。従って、現在利用できる3剤を組み合わせて、外来でも治療可能なプロトコルを開発して当座をしのぎつつ、例えばロルカセリンやロフェキシジンなど全くメカニズムの異なる新しい薬剤の効果を早急に確かめること、これと並行して、さらに長期効果を持つ薬剤の開発(この中にはopioidに対するワクチンや抗体の開発まで視野に入っている)が進んでいることを指摘している。

最後に、一番効果があるのはより安全で、習慣性のない鎮痛剤の開発だが、製薬企業も開発にしのぎを削っている。その上で、短期的には医師の教育を含めて、新しいopioidと他の鎮痛剤を組み合わせた投与プロトコルを開発して当座をしのぐしかないことを強調している(もちろんこの成否には、健康保険会社の理解も必要で、フェンタニルとヘロインはメディケイドも認める安価な鎮痛剤だ)。長期的展望としては、遺伝子治療から細胞治療まで挙げられており、成功すれば利潤は大きいことから、政府の旗振りがなくとも開発が進むと確信できる。

このような対策に加え、もう一つの緊急課題は処方する医師の教育だ。

これに関して全米経済研究所は「Addressing the opioid epidemic: is there a role for physician education?(医師の教育はopioid endemicに役立つか)」という恐るべきレポートを出しているので最後に紹介する(ウェッブサイトからダウンロード可能)。レポートでは医師の出身校のランクと、麻薬の処方量を比較し、ハーバード大学を頂点とする全米ランキング約90校出身者を対象に調べると、ランキングの低い医学校出身者ほど麻薬処方量が高く、例えばハーバード出身者の平均を1として比較すると、最低ランクの大学の医師は、なんと3倍も処方しており(開業のケースでは5倍に上る)、安易に処方が行われていることを示している。出身校で医師のランキングが決まるわけでは決してないが、平均値として考えた時、大学格差が医療にとって重要な問題であることをこのレポートは示している。

最後に、これは決して対岸の火事ではない。我が国でも、全ての薬剤は処方可能で、痛みから解放してほしいという要望も強い。全米経済研究所のレポートを読んで、問題が深刻にならないうちに医師の教育と、opioidの新しい安全なプロトコルの開発から始めるべきだと思った。




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