「モノ集め」に隠された願望(やましたひでこ)



モノで埋めるか。

モノで隠すか。

それとも、モノの砦で自分を守るのか。

おそらく中年の男性の方からだと思う、こんな質問がメールで寄せられる。

「ボルトとかナットとか、フィギュアとか、プラモデルとか、漫画とか、自分が好きで集めたモノたちに囲まれて要塞のような部屋で暮らしたいと思っているのですが、どうでしょうか」

さてさて、まるで断捨離に反するかのようなこの質問に私はなんと答えよう。

そうですね、いえ、実は私にしてみれば、なんと答えるか以前の問題で。自分の暮らし方について他者に尋ねることの方が訝しい、これが正直な感想といったところ。

自分で自分の暮らしをどのようにしようと、自分の自由。モノをたくさん集め持って過ごそうが、モノを徹底的に排除してミニマリストを標榜した暮らしをしようが、それはその人の自由で、他者がとやかく言うことないはず。

だから、いくら私が断捨離を征く者であっても、人の嗜好に強制も指示もすることはなく、だだ、モノを溜め込むような真似はするまいと決めているだけのこと。

そもそも他者に聞く必要もない質問を受け取るたびに、私は質問者の背景に思いを巡らすのが常。質問者は、私への質問にいったいどんな意図を込めているのだろう。たいていの場合、当の質問者自身も気づいていないようではあるけれど。

それでも、この中年男性の質問について考えてみようか。

そもそも、他者に尋ねる必要もないことを敢えて他者に尋ねるのは、同意が欲しいからに違いない。自分がモノを集める嗜好について誰かの賛同があれば、それはそれで嬉しいし心強いことでもある。まして、自分の収集癖を快くは思われていないと意識しているのであればなおのこと。

そしてまた、裏を返せば、自分がしていることにどこか後ろめたさを感じている節もあるというもの。と、以上が、この質問を読んだ瞬間、私の脳裏をかすめたこと。

それから、この質問を反芻してみれば、さらにこんなことにも思考が及ぶ。もしも、この中年男性に家族がいるのであれば、自分だけの居場所を望んでいる可能性は大いにある。質問の「要塞」と言う言葉がそれを象徴している。

モノでできた要塞を望む心は、まるで小さな男の子が心躍らせる「秘密基地あそび」そのもの。それを、大人になってまで再現したいのであるとするならば、男は幾つになっても少年のロマンを持っているもの、などと微笑ましくもあるけれど、やはり家族からの逃避願望もあるかもしれない。要塞とは、自分を守ると同時に他者の踏み込みを拒絶するものなのだから。

そう、モノを集めるのも色々様々。私たちはそれを趣味と呼び、収集家とみなし、集めたモノたちをコレクションと言う。

けれど、それらコレクションと思しきモノたちの状態が残念な有様で放置されていることがいくらでもある。乱雑に積み上げられているか、うっすらとホコリを被ったまま放置されているか、ダンボール箱に詰められたまま忘れられているか。つまり、コレクションと言いながら、まるで愛でられている様子が感じられない状態で。

だから、このモノを集める趣味と呼ばれる行為が、私にはこんなふうに見えることがある。

この部屋の住人<あるじ>は、このモノたちで、いったい何を埋めようとしているのか。あの部屋の主人<あるじ>は、あのモノたちで、いったい何を隠そうとしているのか。

そうですね、私たちは、心の凹み、心の隙間を何かしらで埋めたがるもの。私たちは、コンプレックスを何かしらで隠そうとするもの。その何かしらがモノという物体で無意識で行われているとしたら、住まいはたちまち、大量のモノ置き場と化す。

なぜなら、私たちの心の隙間もコンプレックスも、モノで満たされる訳もないのに、それと気付かず、モノ集めを果てしなくエスカレートさせていくから。

そう、収集、コレクションにはそんな影が潜んでいることも、覚えておく必要があるのです。

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*「断捨離(R)」は、やましたひでこ個人の登録商標です。




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