杜の都に雄叫びを轟かせる!楽天7位指名・寺岡寛治のピッチングは星野仙一スタイル(土井麻由実)



■東北楽天ゴールデンイーグルスから7位指名

心臓に剛毛が生えているんです(撮影:筆者)
心臓に剛毛が生えているんです(撮影:筆者)

 「毛の生えた心臓」。自身のアピールポイントを聞かれると、寺岡寛治投手石川ミリオンスターズ)はこう答える。とにかく度胸満点だ。ピンチでも動じない。いや、ピンチではむしろ、よりギアが上がる。相当な剛毛が生えているに違いない。

 そんなデカい肝っ玉を携えてプロ入りする。指名されたのは東北楽天ゴールデンイーグルスだ。

豪快なピッチング(撮影:チハル)
豪快なピッチング(撮影:チハル)

 前評判が高かった。プロからの調査書も8球団から届いていた。ネットなどで自身の情報を目にし、「期待してしまう部分もあったんで、これは4位くらいから心の準備をしておかないと」などと胸を高鳴らせ、「まぁ4位、5位くらいで選ばれたらなぁ」と楽しみに待っていた。

 ところが、なかなか名前が呼ばれない。「現実は甘くないと痛感しましたね。6位くらいが終わって、『これ、選ばれないんじゃかな』『ヤバイんじゃないかな』と思って…」。

 指名漏れも覚悟した矢先だった。イーグルスの7巡目で指名され、「もう順位関係なく嬉しかったですね」と相好を崩した。

 しかし、さすが心臓に毛が生えているだけある。動じず、落ち着いているように見えた。「いや、けっこう頭は真っ白になってましたね。外には見せないように、自分の中で我慢したんすけど(笑)」。

■中学2年で遠投110m!

小学生相手にはこの笑顔(撮影:筆者)
小学生相手にはこの笑顔(撮影:筆者)

 小学2年から始めたソフトボールではセカンド、サードだった。中学から硬式に進んだが、やはりおもに内野に就いた。しかし転機が訪れた。「突然、肩が強くなったんですよ」。

 中学2年の12月末に約80mを記録した遠投が、年が明けて3月に計測すると110mにまで達したという。3ヶ月ほどの間に30mの伸び!とんでもないキャリアハイだ。

ちびっこに頼まれサイン(撮影:筆者)
ちびっこに頼まれサイン(撮影:筆者)

 「バーッと急激に伸びた。みんなと同じメニューしてただけだし、特別なことをやった記憶はないんです。体が成長したのと、何かの練習で体の使い方をマスターしたのか…。それは全然わからないんですけど」。自覚がないだけに、本人もビックリだ。

 中学生で遠投110mはなかなかいない。そこでピッチャーに抜擢され、やってみるとコントロールもよかった。

 ここから寺岡投手の投手人生がスタートした。

■最速149キロで注目を集めた高校時代

チームメイトの沼田拓巳投手(ヤクルト8位)と(撮影:筆者)
チームメイトの沼田拓巳投手(ヤクルト8位)と(撮影:筆者)

  東海大五高(現・東海大福岡高)ではピッチャーに専念したが、バッティングの評価も高く中軸を打った。2年でエースになると、途端に注目を浴びた。当時の最速は149キロ。プロのスカウトがこぞって足を運んできては、面談を重ねた。

 しかし3年に上がる前、ヒジに痛みが走った。骨の炎症による疲労骨折だった。その後も治まってはまた発症するということを繰り返し、高校からプロへ進むという道は断たれた。

同じくチームメイトの一二三慎太投手(もと阪神)と(撮影:筆者)
同じくチームメイトの一二三慎太投手(もと阪神)と(撮影:筆者)

 これには「自分自身もショックだったけど、母が同じくらいショック受けていた。ケガがなかったらプロに…って。精神的にかなりきてたみたいです」。中学2年から女手ひとつで育ててくれたお母さんの気持ちは、痛いほど伝わってきた。

 けれどお母さんは気丈に励ましてくれた。「人生なるようになるから。諦めたらそこで終わり。頑張ってたら、なるようになる」。その言葉に背中を押されて、やれることをやろうとバッティング練習に打ち込んだ。

■大学4年、外野手でベストナインに輝く

ベンチにてキメ顔(撮影:チハル)
ベンチにてキメ顔(撮影:チハル)

  九州共立大でも入学当初からバッティングを買われていた。1年のとき、勝ちの決まった試合ではあったが、1打席だけ公式戦の打席に立った。

 しかしヒジの状態は相変わらずで、すでに炎症を繰り返すことが7~8回にも上った。そこで2年になる寸前に手術を決意した。

 「骨が炎症でくっつかないようになってたらしくて、それを内視鏡を使って人工骨でつなげる手術です」。

 2年と3年は術後のリハビリに費やした。その間、少し投げては「投げすぎると力が入らなくなって違和感が出ていた。痛みはなかったけど、30球も投げると違和感があって怖くて止めていた」というのを繰り返した。

 それでも徐々に回復し、4年になるころにはキャッチボールも全力でできるまでに復活した。「そこで、いけるんじゃないかと、思いきって野手に転向したんです」。外野手として、春のベストナインに選出される活躍を見せた。

■二刀流の社会人時代

イベントに参加(撮影:筆者)
イベントに参加(撮影:筆者)

  九州三菱自動車にも外野手として入社した。バッティングが評価されたのだ。このときは野手でプロを目指すつもりだった。

 そんな中、外野からのバックホームは周囲の度肝を抜いた。当時、キャッチャーとして在籍していた大村 孟捕手(現・東京ヤクルトスワローズ)は、「エグい球、返してましたよ」と証言する。「センター定位置からのド ライナーでのバックホームを見て、『アイツ、投げられるんじゃない?』ってなって…」。そのころ、遠投はゆうに125mは放っていたという。

(撮影:チハル)
(撮影:チハル)

 そこで8月、山内孝徳(もと南海ホークス)投手コーチから再びピッチャーをやるよう促された。

 初めてのブルペン入りでは、そこにいた誰もが驚愕した。ブランクがあったとは思えない球は、実戦で十二分に通用することを物語っていた。

 「それで大学生相手のオープン戦で試し登板したら、いきなり150キロ超え!さすがやなって」(大村捕手)。

恵まれた体躯(撮影:チハル)
恵まれた体躯(撮影:チハル)

 そこから“二刀流”が始まった。外野の守備位置から、試合途中にマウンドにいく。ブルペン投球の時間はなくとも「外野でイニング間にキャッチボールして、あとはマウンドでの投球練習で作るんで難しくはなかった」と、こともなげに言う。まるで漫画の世界だ。

 しかし依然、打者としての能力も高く、「ロングティーでアイツより飛ばしたヤツ、見たことない」と強打者の大村捕手が舌を巻くほどだった。大村捕手いわく「身体能力、バケモンですから(笑)」。

 しかし「上を目指すならピッチャーの方が近道だ」という山内コーチの助言もあり、自身も「ひとつに絞ったほうが可能性も広がるんじゃないかと思った」と、ピッチャー1本でプロを目指そうと決意した。

■ふたたびピッチャーで夢を追う

(撮影:筆者)
(撮影:筆者)

 高校3年のときに一度は断たれたプロへの夢だったが、もう一度、あのときと同じ「ピッチャー」で夢を目指せる。

 「やはりピッチャーでっていうのは、ボクの中でありましたね。マウンドに上がったとき、フラッシュバックっていうか、いい意味のフラッシュバックなんですけど、そういうのがありましたしね」。あのころの、よかった感覚が蘇ってきた。

 そして独立リーグ入りを選択した。独立リーグならば育成指名も受けられる。それだけプロへの門戸が広がるからだ。

(撮影:筆者)
(撮影:筆者)

 実はここでお母さんの反対にあっている。「やっぱり社会人って生活が安定してるっていうイメージがある。野球しつつ仕事しつつ、それで給料もボーナスももらえるって。そういう面で母親は心配したんじゃないですか」。

 しかし寺岡投手は意志を貫いた。これまで大学、社会人は誘いがきたところに進んだ。自ら入りたいと選んだところではなかった。

 「最後くらいは自分で決めたい」。そう訴えると、息子が人生を懸けて選んだ道をお母さんも理解してくれた。

■奪三振率12.45の高い三振奪取能力

(撮影:城 裕一郎)
(撮影:城 裕一郎)

  BCリーグ・石川では開幕投手を務めたが、すぐにセットアッパーに転向した。「先発もおもしろかったけど、中継ぎのほうが自分に合っている。先発はスタミナを考えて配分しないといけない。それよりも常に全力投球でいきたんです」。自分の持ち味は熟知している。

ともに戦った仲間も一緒にプロ入り(撮影:チハル)
ともに戦った仲間も一緒にプロ入り(撮影:チハル)

 今季は43試合(59・1/3回)に投げて防御率1.52。さらに特筆すべきは奪三振率だ。82コの三振を奪って12.45という驚異的な数字を叩き出した。

 「追い込んだら確実に三振を狙いにいってます」。三振奪取能力という、後ろを投げる投手としての適正を備えている。

 最速155キロのまっすぐでも、まっすぐの軌道から打者の手元で鋭く変化するカットボールでも三振を取れるが、ときにはタイミングを外すカーブも結果球になりうる。

■独立リーグで得たこと

石川でのイベント(撮影:筆者)
石川でのイベント(撮影:筆者)

 大学や社会人のように決まった時期に集中的に大会があるのではなく、独立リーグは4月から9月まで通して試合を行う。数こそNPBの半分ほど(71試合)とはいえ、シーズンを通して戦うという経験はできた。

 「ずっと状態を維持しなきゃいけないから、そのへん最初はどうやっていいのかまったくわからなかった。シーズンが進んでいくにつれて体も順応してきて、こういう調整をすればいいというのを覚えた」。これが、石川でのもっとも大きな収穫だという。

タフネス右腕(撮影:城 裕一郎)
タフネス右腕(撮影:城 裕一郎)

 「1イニングやちょっとまたぎで投げるくらいなら、3連投、4連投まではいけますよ」と頼もしい。プロ入り前の“予行演習”はバッチリだ。

 さらに「石川で寒さに慣れたってのは、ボクの中ではアドバンテージじゃないかな」と豪快に笑う。雪国への順応も体験済みだ。

■東北楽天ゴールデンイーグルスと入団合意

「東北楽天ゴールデンイーグルス」とサインに添える(撮影:筆者)
「東北楽天ゴールデンイーグルス」とサインに添える(撮影:筆者)

 すでに入団合意したイーグルスについては「若手の力が強いチームというイメージ。則本さんも20代半ばだし、美馬さん、塩見さんも若い。野手でも茂木選手とか…」という印象があるという。そんな中で自身の働き場所を考えたとき、やはり「七、八回をしっかり任せてもらえるようなピッチャーになりたい」と意気込む。

 パ・リーグに所属するチームに入ったからには、やはり柳田悠岐選手福岡ソフトバンクホークス)との対戦に心躍らせる。「最初は力勝負したいなぁ。ボクの勝手なワガママですけど、緩急も使わずに変化球であっても速い変化球で、とにかく力勝負したい」と腕をぶす。

なぜか沼田投手のグラブのにおいを嗅ぐ…?(撮影:筆者)
なぜか沼田投手のグラブのにおいを嗅ぐ…?(撮影:筆者)

 一方、DH制を採用しているパ・リーグでは、投手は打席に立つチャンスはない。強打者として鳴らした寺岡投手、バッティングに未練はないのか。二刀流を目指すことはないのか。

 「そんな甘い世界じゃないってわかっている。1年以上空いてるんで、それで打席に立って打てるとは絶対に思わない。今からバッターやりたいという気持ちはないですね」とキッパリ。

 ただ、投手としてバッティング練習は行っているそうだ。「(投手と打者の)体の動きは似ている部分はある。まったく違うってわけじゃない。ティーバッティングで下半身の使い方を覚えたり、強化にもなる。体重移動ですね」。トレーニングの一環として、石川でもティーバッティングは取り入れていたそうだ。

背番号は56(撮影:筆者)
背番号は56(撮影:筆者)

 気迫あふれる投球スタイルはメジャーで活躍する田中将大投手やエース・則本昂大投手らイーグルス投手陣の系譜に通ずる。いや、この熱さは星野仙一もと監督(現・副会長)のピッチングをも彷彿とさせるのではないか。

<

p class=”nobr”> 「要所、要所で決めにいくとき、声が出ちゃうんです。持ち味ですね(笑)」。

  杜の都に響き渡る雄叫びが、勝利を呼び込む号砲になる。

【寺岡寛治*関連記事】

ドラフトへ向けてー寺岡寛治

BCリーグ北陸選抜vs阪神タイガース・ファーム




こんな記事もよく読まれています



コメントを残す