[コラム]彼女は朝鮮人か日本人か(ハンギョレ新聞)



 10月初め、新宿の早稲田大学近隣にある「女たちの戦争と平和資料館」(WAM・ワム)で開かれた日本人慰安婦関連セミナーに参加した。「日本人慰安婦の話を聞いて」というタイトルで開かれたこのセミナーで、ノンフィクション作家の川田文子氏が、日本ですら良く知られていない日本人「慰安婦」被害者に直接会って取材した話を聞かせてくれた。川田氏は、朝鮮半島出身として初めて日本軍「慰安婦」被害の事実を知らせた故ペ・ポンギさんを取材した内容を基に、『赤瓦の家―朝鮮から来た従軍慰安婦』という本を出したノンフィクション作家だ。

 川田氏は横浜出身の石川たま子さん(仮名)の話を聞かせてくれた。石川さんは、太平洋戦争時期にパプアニューギニアのラバウルなどにある慰安所で生活した。石川さんは一日に男性100~200人を相手にしなければならなかったこともあると証言した。1988年に雑誌「アサヒジャーナル」は、石川さんを朝鮮人慰安婦と書いて記事化したことがある。だが、石川さんを知っている人が、彼女の生活習慣や言語などが朝鮮半島出身者とはかなり異なる点のために朝鮮人とすることに対して疑問を提起した。

 石川さんは1908年生まれだが、その時期に日本にいた朝鮮人は留学生などきわめて一部だったという点も疑問の根拠であった。川田氏は、石川さんが亡くなった年の1991年に彼女が入院していた病院を訪ねて行ったという。朝鮮人なのか、日本人なのかを本人に直接尋ねようとしたが、病が重そうでとても尋ねられなかったと回想した。川田氏は、周囲で石川さんの実名を尋ねれば、朝鮮人なのか日本人なのか、事実を確認できるのではないかと思い、再び訪ねて行ったと話した。だがその時、石川さんはすでに亡くなった後だった。

 川田氏は石川さんが朝鮮人なのか日本人なのかは重要な問題ではなかったと回想した。結局、人権を侵害された被害者という点こそが重要だと話した。川田氏は、日本国内で慰安所生活をした日本女性のタミさん(仮名)の話も紹介した。幼い時に周囲には「ゆくゆくは御茶ノ水(女子大)に行く」と話す程に勉強に意欲を見せたタミさんは、貧しい家庭環境のせいで遊郭に売られ、太平洋戦争の時に慰安所生活もした。慰安所周辺の住民たちは彼女に「お国のために苦労している」と話したという。

 ワムでは最近「日本人『慰安婦』の沈黙―国家に管理された性」という展示が開かれた。来年7月まで開く予定のこの展示には、自身が軍隊慰安婦だったと明らかにした日本人たちの事情を展示している。また、日本軍「慰安婦」被害がどのような脈絡で誕生したかも詳しく紹介している。

 日本軍が慰安所を本格的に制度化したのは、1937年中日戦争の前後という分析が多い。当時、日本軍による性暴行事件が頻発し、西欧社会にその事実が知らされたのが契機だったという分析だ。日本軍部は兵士の性暴行事件を防止するために慰安所を制度化し、朝鮮人、中国人、東南アジア各国の女性が慰安婦被害を多く被った。そして日本国内でも主に貧しい家庭の女性が「慰安婦」被害をこうむった。

 日本が第2次大戦敗戦の後、一般の貞淑な女性を守るとして、米軍対象の慰安所を作った内容も展示で紹介している。この展示では、日本がどのように女性の性を“管理”し、被害者が沈黙する構造を作ったのかを説明している。

 日本では2015年の韓日合意以後、慰安婦問題は人権の問題ではなく外交攻防だと認識されているという声が多く聞かれる。セミナーの最後に川田氏が「これは人権の問題」と言った言葉が忘れられない。

チョ・ギウォン東京特派員 (お問い合わせ japan@hani.co.kr )

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